こんにちは、HIROです。
記録的な大雪にも見舞われた今年の冬がようやく終わろうとしています。
年末に壊し、この冬はずっと療養していました。
そんなわけで久しぶりに本を読む時間ができたので前から気になっていた本を読みました。
服部文祥さんの
「サバイバル登山家」。
数年前に偶然本屋で見てからずっと気になっていました。
著者の服部文祥さんは、可能な限り機械や電子機器などは持たず、狩猟と採集をしながら山を登るスタイルを貫く登山家です。
この本を読んであ〜この人好きだな〜と思いました。
テレビ番組出演時の発言などから毀誉褒貶が激しく、かなりクセのある人物であることは確かです。でも、釣りや魚突きを通して自然の中で殺生を行う身としては大いに共感するところがありました。
特に本の中の以下の一文には共感しました。
「登山とは現代社会が可能にしているディフェンス力―現代医療、人権、法律など―を一時的に放棄する行為だと僕は思っている」個人的に僕が思っていることですが、
"outdoor"とは単に「屋外」であるだけではなく、都市や社会の外、すなわち
「文明の外」に身を置くことだと思っています。
もちろん海辺やキャンプ場でみんなでワイワイBBQやるのも好きです。
でも個人的に思うのは、
都市生活に溢れている便利な道具や社会生活を営む上での立場などのしがらみを脱ぎ捨て自然の中に入ることが僕の求める理想の"outdoor"です。
自然の中で唯一背負うべきは自分の命のみ。だから頼りにできるのは自分だけ。自然の中のストレスフルな環境を潜り抜けるには、五感と体感をフルに使わなくてはなりません。だからこそ都会では鈍ってしまった、人間が本来持つ能力を呼び覚ましてくれる気がします。
ちなみに、離島へ泊りがけの遠征に行ったときにいつもスマホやタブレットでメールやSNSばっかりやってる人は好きじゃありません。そんなことより、目の前の海とか潮騒とか森の匂いとかまさにミルキーウェイ!と思うような星空とか、もっと見るべきものがいっぱいあると思うのです。個人の自由だけど、あんまり携帯とばっかり仲良くしている人とは一緒には遠征に行きたくないな〜。ネットの向こうの誰かじゃなくて隣にいるあなたとこの時間を分かち合いたいんだ!って思います(笑)
話は戻りますが、この本には山での貴重なたんぱく質の確保の方法としてイワナ釣りが出てきます。僕も以前は渓流にはまり、3月の渓流釣り解禁を「釣り正月」などと呼んでいました(笑)
そのため、実家に帰ったときはほぼ毎回山に行ってました。
地元の友人とともに朝早くから日が暮れるまで山に入り、渓流の流れに身を浸して過ごしていました。クライマーのような懸垂下降などはしませんが、足を滑らせたら命を落としかねない崖を下ったりすることもあります。しかしそこには自分たち以外の人間に会うことがない楽園。
かの有名なフライフィッシングの映画『River runs through it』の最後の言葉がふと浮かんできます。
"I'm haunted by waters." 「私は川のとりこだ」※waterは通常不可算名詞ですが、複数形で「川の流れ」を意味するようです。
こんな良型のイワナが釣れる川がありましたが、福島第一原発の事故で山には放射能が降りました。渓流魚からはセシウムが検出され、食べられなくなってしまいました。
最近ようやく基準値を下回ったようですが、家族もうるさいので以前のようには釣りには行っていません。
僕は東京に住んでいて原発で作った電気で生活していました。恩恵に預かっていたのだから東電を盲目的に批判することはできません。
ただ、人間のエゴの産物が山に降ってきて自然の生態系を壊している。この事実は悲しいな〜と思います。
目先の自分たちの利益ばかり追求するのではなく、
100年後の未来の子供たちがイワナを釣れる自然を残すことを本当に考えるべき時なのかなと思う今日この頃です。